2003年11月05日 水曜日
日本のマイノリティとは?―異国で私は「日本人」?それとも?
by Abbie Yamamoto
Biculturalism, Community, Expats in Japan
私は今、久しぶりに自分と全く縁もゆかりもない国に住んでいる。
語学習得を目的とした韓国滞在は2度目。今回はもう少し腰をすえて韓国語習得に力を入れようと6ヶ月はここにいるつもりでやって来た。今回も滞在先はソウル。なぜソウルかと言えば、私が都会大好き人間で、しかもソウルの熱気あふれるパワーと人々に対して、自分の故郷である日本の東京にも感じない居心地よさを感じるからだ。
ニューヨークのマンハッタンで過ごしたような大学時代の楽しさに加わり、(大学院生でいるよりは)楽な、遊ぶことが仕事とも思える語学学校のカリキュラム、外国に大学や学校の夏休みよりは長い時間をかけて外国語を習いに来ようと言う、どこか変わったことをしている人たちに囲まれて、私の経験は韓国語を習うことだけに飽き足りない。
ソウルに来て2週間。すでにいろんな出会いを通して、やっぱり自分の作ったコミュニティーは需要がある、と確信した。
韓国語を習いに来ている日本語を母国語とする人は私の通っている語学学校だけでも大多数を占めその内在日コリアンは8,068人となっている。つまり、この語学学校の約半数を占める日本語を第一言語とするもののうち、国籍は韓国、または朝鮮籍になっている、在日コリアンが約3分の1を占めている計算になる。
こういう、「純粋な」日本人と日本のマイノリティ人口の割合が日本にいる時よりも偏った割合で共生するところでは人々の国籍や民族間に関する思い込みや先入観を如実に表す不思議な (read, annoying) 現象や言動に多く立ち会うことになる。その多くはキョッポと「純粋な」とか「ただの」とか「普通の」日本人との言い方の違いに現れる。
私がソウルに来て、この語学学校で最初に一番仲良くなったのは関西出身のキョッポのコだ。授業が終わると一緒にお昼を食べに行ったり、放課後は一緒に宿題をしたり、暇を持て余すととにかく一緒に遊んで時間を過ごす。時々、その子は誰かしら一緒のクラスのコやどこかで別の機会に知り合った人を連れてくる。その内、定期的に一緒に時間を過ごすようになったのはやっぱり彼女と同じ関西出身の日本人のコだった。3人で連れ立って歩いていると、誰かしらこの2 人のどちらかの知り合いに会う。すると、必ず私たち残りの2人が紹介される。
3人連れ立って歩いている時は日本語が主だが、韓国語語学生よろしく、そこここで韓国語の単語やフレーズが飛び交い、私たちは日韓チャンポンで会話をしている。と、通りかかる知り合いたちはみんな一通り私たちの名前を聞き終わった後「おっ?それでみんなイrボンサラm (日本人)なんだね?」とか「そうなの?」と確認してくる。すると、そこで日本人とは見分けのつかないがためにそのアイデンテティを失うような危機感に絶えず襲われているキョッポの子が、「違う。私は日本から来たけど、キョッポだからハングッkサラm(韓国人)」だと言い、「じゃあ、この人は?」という疑問を湛えた視線が私に注げられ、今度は逆に見かけが違うからこそ、自分の一部だと信じて疑わなかった日本社会にとけこめないで育った、自分は「ただの」日本人でいたいのに、と言うコンプレックスを抱いたまま大きくなってしまった私の代わりに「この人は日本人だけど、お母さんがアメリカ人でお父さんが日本人だからみかけがちょっと西洋的なの」とキョッポのコが注釈を加えてくれる。そうすると最後に、キョッポでもない、「異人種」間の親の間に生まれたのでもない、どこをとっても日本のマジョリティとしか言いようのない3人目の彼女に視線が向けられ、「じゃあ、あなたは?」とか「あなたもキョッポ?」と質問は続く。そこでその子は「いや~、違う違う。私は純粋なイrボンサラmよ。」とか「100%イrボンサラmよ。」とか言って焦る。
日本のマイノリティではない彼女にとってマイノリティである私たちはやはりまだ部外者なのだ、と感じる瞬間だ。日本では一般的にはまだマイノリティというものが存在する、という意識自体低いような気がする。そしてそれはそれぞれのマイノリティやマイノリティを代表する人たちの分裂、またはお互いを助け合う道を絶ってしまっているように感じる。
具体的に言うと、日本のインターナショナルスクール出身の人たちも日本で育っていながら、英語を中心とした、日本の教育システムとは違う教育を受けているという点、そして子供の頃から海外へ行き来していることが多くある、多くは海外の大学に進学する、という点で確かに日本の文化的マイノリティである。そして、ある一定期間の義務教育時代を海外で過ごし、日本の教育システムに戻ったり、行ったり来たりを繰り返すことのある海外帰国生も、内に日本のとは違う国の文化の影響を強烈に受けているだろう点で文化的マイノリティだと言える。そして、この人たちは他文化圏から来た親を持つハーフ/ダブル/国際結婚児や日本に代々住んでいつつ、法的にも文化的にも日本のものでない、「自分の文化」を守ってきた在日コリアン、在日中国人などとも共通点がある。何世代も前に外国に移住してから再び日本に戻ってきた日系外国人もこの様々なマイノリティ・グループと共通点を持つ。その共通点とは、私が見る限りでは日本というところに住んでいる、または住んでいたにも関らず、日本のマジョリティとは比べ物にならないほど、他の文化圏とのつながりが深い、という点にある。そういった意味では日本に住んでいる時はマジョリティでも日本の外に出た時点でマイノリティになる人もいる、と私は思っている。
それなのに、私が見たところでは日本ではマイノリティの存在と言った意識が低いために、それぞれのマイノリティがそれぞれの経験を共有しあい、お互いの力を強めていける道を見失っている気がする。どうして日本語が母語であるインターナショナル・スクール出身者たちの総勢はごく少数であるに関らず、その人たちだけで固まってしまいがちなのか。どうして多くの日本の義務教育を受けた国際結婚児/ダブル/ハーフたちは日本から逃げ出すか、自分を分かってくれる人たちのとりでを作りあげ、その中に息を潜めてしまうのか。どうして在日コリアン団体は在日コリアン同士だけで固まってしまい、日本で最大のマイノリティ・グループであることを利用し、どんどん他のマイノリティ・グループをまとめていかないのか、と疑問は尽きない。
しかし、この疑問も全て、現在の日本でminorityという言葉が正確に広く認識されていないことを考えてみれば、当然のことかもしれないとも思うのだ。
そこで、私は個々人が自分のもっと細かいニーズに合わせた、各々のマイノリティ・グループに所属しつつも包括的に日本のマイノリティとして参加できる場を提供したいと考えた。それが「多文化人・多文化家族のためのじゅうにひとえ」だ。
マイノリティの存在がマジョリティ側に意識されない状態は社会全体にとっても健康であるとはいえない。マイノリティが自分をそうと意識できないうちはマジョリティ側も確かに自分の身の回りに増えつつあるマイノリティの存在を認識するための言葉を失う。すると、マジョリティ側も、そのマイノリティである人間のマイノリティであるが故の違いを抹消する結果になる、人間同士のsimilarity (相似点) のみに着目した、「結局はみんな同じ日本人」と言う言動に至るか、いろんなグループやコミュニティーの相違点のみに注目した、「やっぱりあなたは日本人でないヨソモノ」と言う排他的言動に至るかの二者択一を迫られることになる。
「マイノリティ」というカテゴリーは自分の住む社会にlegitimate (正当)な一員として参加する権利を与えつつも、マジョリティとは確実に違う自分のマイノリティらしさを保存する自由を、つまりはある意味で日本人でありつつもマジョリティとは違う部分がある、ということを明示する自由を与えてくれる、という意味ではかなりempoweringな3つ目の選択肢になりうる可能性をも含んでいるのだ。この機会、利用しない手はないと思うのだが、どうだろう?
*1-一度目は主に在米コリアンを対象とした2002年の夏期特別プログラムの時だった。このときはプログラム自体の期間も含め、韓国に約2ヶ月滞在。
*2-48,303人中22,343人―韓国語過程の2003年度公式パンフレットより。
*3-パンフレットではKorean-Japaneseと記載。
*4-「朝鮮」とは現在の朝鮮民主主義共和国(通称:北朝鮮、北韓)、もしくは1953年南北分断前の「朝鮮半島」全体を指す。
*5-実は在日コリアン社会では朝鮮・韓国国籍保持者でなくとも、つまり家族が帰化した場合や片親が日本国籍のために日本国籍を保持する人でも在日コリアンと定義しているので、この統計は何に基づいているのかが興味深い所。
*6-韓国在外コリアン。Koreans living outside of Korea; often referred to as the Korean Diaspora (taking after the Jewish Diaspora) and also analogous to NRI (Non-Resident Indians).
*7-もう片方のほうのコだと、「この人はハーフだから、日本語は話すけど、100%日本人ではないから」と、日本で聞いて育った何とも排他的な説明が加えられる
*8-ここでの焦りは、別にマイノリティであることが嫌だからではなく、やっぱり自分ではないものに間違えられる不快感とか焦りのためなのだろうと思う。これに関しては “Misidentification”参照。
*9-場合によってはフランス語などの他言語
*10-特に見かけが日本のマジョリティと違う人たちの場合。
*11-もちろん、「私もあなたも結局は同じ人間、かついろんな個性に彩られた個人」と言う結論にも至れるわけだが、マジョリティの人間がこの結論に至ることはごくマレではないだろうか。
*12-「日本人」という定義を民族的・法的にだけ捉えるのではなく、個人の居住地的にも捉えた場合。
Posted by Abbie Yamamoto at 2003年11月05日 22:55
Comments
ども、読ませて頂きました。
以下の部分が理解できませんでした。
日本ではマイノリティの存在と言った意識が低いために、それぞれのマイノリティがそれぞれの経験を共有しあい、お互いの力を強めていける道を見失っている気がする
ーーーーー
マイノリティにとっては、マイノリティの意識があると思うのです。ですからマジョリティとマイノリティの区別が生まれる。しかし、マジョリティはマイノリティを隠蔽しようと言う作用を働かせます。これは社会学的に「隠蔽権力」などと呼ばれています。
こういう圧力の元に、マイノリティがお互いの連帯を阻害されている。私はそう理解しますが、道を見失っている、様には思えませんでした。
決して間違いだとは思いませんが、見失っているより、阻害されているのではないかと思った次第です。あるいは、見失わされている。
面白い問題提起なので、他に紹介したいと思います。
高川さん、こんにちは。
いつもどうもありがとうございます。
>マジョリティはマイノリティを隠蔽しようと言う作用を働かせます。・・・こういう圧力の元に、マイノリティがお互いの連帯を阻害されている。
なるほど。コメントを頂いたくだりは自分で書いているときも間違っちゃいないんだけど、何だかとっても大切なポイントを見逃しているような気がしてならない、と思っていた部分です。ので、その見失っていた部分が明らかになるようなコメントがもらえて嬉しいです。
これからもどうぞよろしく。
こんにちは。香港に住む日本人です。マイノリティの問題、中々一筋縄ではいかないですよねー。僕自身はゲイなのでセクシャリティの面でマイノリティに属しています。マイノリティ同士の連携、本当に必要ですよね。でも、ゲイとレズビアンの間にすら断絶があったりと、中々異なる性質のマイノリティ同士で手を携え、社会の意識を上げていくよう働きかけるのは生半なことじゃないですね。ただ一ついつも思うのは、自分のマイノリティとしての一面だけに焦点を当てず、常にopen mind and heartで色々なグループに属する人たちを見ていきたいな、ということ。
韓国語の勉強頑張ってください。あんにょん。
Abbie, does the word マイノリティー get used much in Japan? The way you use it seems to differ in some interesting ways from the way it gets used in the US. That is, in the US it tends to refer to US citizens that are culturally identified with the US, but have a variety of racial/ethnic origins that differ from the Anglo mainstream. But you are referring to groups in Japan that would probably be categorized as "foreigners" rather than "minorities" in the US -- like some in the international school crowd who are not really culturally identified as Japanese. But maybe that is the problem, that in Japan we tend to categorize these groups as culturally foreign rather than part of a multicultural Japan... Anyway, thank you for some interesting food for thought.
Naotoさん、コメントありがとうございました。
そうですね、マイノリティー同士といえども、それだけを糧に団結するのは難しいものですよね。
マイノリティーであることを特別視するのではなく、普通に身の回りに起きていることを理解するためにその現象に言葉を与えること、と言うのも私がここで書いている主旨の一部となっています。マイノリティーであることばかりを特別視するという事を推奨しているわけではないのですが、そこにあるものが全く認識されないのもいろいろな弊害があると思うのでここではそれに注目することにしました。
コメント、ありがとうございます。
Mimi, In Japan, the word マイノリティー seems to get used in the limited circles of social activists and academics.
Your point about how I've re-adapted the word in the Japanese context is really interesting. It's something that I just happened to do in the process of trying to understand and readapt the mission statement of <a>Swirl, Inc.</a>, combined with the context of my own upbringing. (Junihitoe is officially the Japanese-language chapter of Swirl.)
In my article, I include some people who might be considered "foreigners" in Japan and the US as マイノリティー because I feel like Japanese law has ties to the collective sentiment of the Japanese citizens (as it should in any democratic country), and many who could be considered legally legitimate Japanese citizens are not. (Writing this I realize how heavily my view tends towards the camp that a person's identity is something largely conditional and not innate.)
For instance, I'm dissatisfied with how 在日s who've been around for years and sometimes for generations, are not considered Japanese citizens or at least given all the legal rights of a full-time resident. At the same time, the lack of understanding (and sometimes the lack of interest to understand) of the average Japanese citizen of alternative ways of a "Japanese" existence and the narrow definition of who fits the category of a 日本人 frustrates me to no end. This frustration has grown since being exposed to (what seems to me) the more flexible definition of who is a Korean.
Thank you for such insightful feedback.
Hello Miyabi. I am Japanese, but I comment you in English , because I don't know why and my computer never show Japanese language on this comments sheet . So please allow my poor English expression.
Before questioning you, I agree to the phrase saying that Japanese could have much possibility to be minority in foreign societies , once they would root themselves there. I also admit your other comment saying that all majority should perceive the existence of people categorized as minority in society.
I am afraid I could not understand your some comments without your explanation in detail. Will you help me to understand them with ease?
1) If all minority does not perceive himself as being minority in society , any majority can not find the way how he live together with minority with much harmony.
Q1 Will you tell me the above comment in other word ? I am afraid I could not imagine it .
2) Now minority is requiring towards majority in society, that he needs right as much as majority has , and he wants to root society with some opportunities as majority do.
Q2 Do you think that minority should gain right of election ? If the case of " no ", then what kind of " right " and " opportunity " does minority have to get? What does he have to owe to aim new society to be ?
Will you show some good -looking ideas which you experienced in U.S.A. when you once stayed long ?
3 Meanwhile you say that minority has freedom , which majority can't , to enjoy being minority.
Q3 I am a little confused where minority should finally head for . Does he need to have the whole right as majority now has ?
I think right of election is the only one which minority does not have now.
If he finally get right of election , do you think the situation around minority go well ?
Finally can I ask you if you were welcomed in U.S.A ? When I travelled U.S.A, frankly I felt Asians just have to be into communities of ecah home country except someone who has super talented like Ichiro or Matsui , or persons who are admitted by American society. I mean Asians are with Asians, Afro-americans are with Afro-Americans, and the white race is with the white race in U.S.A, when I travelled there. Completely distiguished. I felt they are unwilling to be mixed. In your visiting Korea, I see it well that all other foreigners including even Koreans rooting in Japan are discriminated. That's the country. In Rome, do as Romans do. In Korea, do as Koreans do. We have to respect what they value when you on abroad, even though you don't like it.
Thank you.
I would just like to comment on one aspect of Mimi Ito's comment above. I don't think it's a fair assessment of American society to claim that the word "minorities" refers to "US citizens that are culturally identified with the US." As a native speaker of English, I can assure you that it carries with it no such connotations. In the strictest sense of the term (and the only sense in which it is used), "minorities" refer to groups which make up a significantly smaller percentage of the population than other groups. That is all; no more, no less. I am not sure that the distinction makes a difference in the way that you insinuate it does. "Foreigners" in Japan reside in a different cultural place than "minorities" in the US not because either group identifies culturally one way or the other, but because they are identified by society as belonging in a certain group. The US does not disqualify foreigners from membership in the American culture automatically - at least not in large part - whereas in Japan the assumption from the beginning regardless of the allegiances of the foreigner is that he does not belong to the Japanese society, but yet some foreigner, outlier group.
Tanoki- you might pause to consider that the word "minority" may have multiple meanings and connotations. As another native speaker of English, I have a somewhat different view of what terms such as "minority" and "foreigner" connote in the US and Japan. For me the alternative readings you and miyabi bring up are interesting instances of polysemy in language. I hope you don't assume that those of us on this site are "non-native" to one or another monolithic view of language or culture. Part of what I am interested in challenging with this site is the idea that there is a clear category of "native" and "non-native" and by extension the idea that words and cultural categories mean the same thing to all people at all times.
Without addressing your slightly specious comments about the relativist nature of words and their associated meanings and connotations, I would refer you back to your original assertion - the one that acted as the impetus for my message - in which you claimed that the word "minorities," as it is used in the U.S., tends to refer to people who are culturally identified with the U.S. While it may be true that some minorities do identify culturally with the U.S. (as is the case with many blacks), there are a whole host of others who probably do not. Witness the host of minorities in Texas who labor long hours to financially provide for their loved ones south of the border. Certainly we cannot say that these people are identifying on a cultural level with the U.S. At the same time, however, we would be acting almost xenophobically to claim that these people do not fall under the umbrella of the term "minority."
It is easy to let our understanding of language become clouded by attributes that we generally see as characteristic of certain groups. The notion that minorities in the United States identify with the U.S. culturally conforms well with the notion that those of other ethnic or racial origin have traditionally and historically tended to embrace the U.S. culture (e.g., Ellis Island), but seems to fly in the face of the the multiculturalism that surrounds us - ethnic communities springing up in major suburban cities that work hard to distance themselves from core American mainstream values and even language being just one example. Likewise, this idea that those who create a similar environment in Japan - an environment outside of the mainstream culture that embraces its own difference - are what we would consider "foreigners" in the U.S. seems to neglect the fact that many minorities in the U.S. form these tight-knit communities themselves, willfully creating their own cultural bubble through which they may distance themselves from U.S. culturally in the exact same fashion. Here, the long-standing myth that non-Japanese do not assimilate into Japan or possible the notion that non-Japanese cannot assimilate into Japan can color one's perception when trying to make an even-handed comparison among groups.
My issue with your post is that I find your representations about how certain groups might be classified in the U.S. to be inaccurate. As I have explained and supported above, the assertion that members behaving in the manner of the international school children in Japan would be labeled as "foreigners" in the U.S. as opposed to "minorities" is groundless and contrary to reality. Blanket conclusory statements are dangerous if they go uncorrected.
過去記事よんで勉強中・・・みなさま、白熱した議論よませていただいておりまする。大変興味ある話題で参考になります。
Abbie,
Just as you pointed out that you are somewhat dissatisfied with the situation surrounding many different 'minorities' in Japan, especially with their residing for even many generations while they have not aqcuired any sufficient rights or recognition, I can say pretty much the same thing about the situation of Asian Americans in the USA. Altohugh they have been around forever, some people are the fourth or fifth generation Eastern Asians such as Japanese or Chinese mostly, they are practically ignored as an American and people bother them forever reffering they are from 'different cultures' and practically expect then to be more foreign as they really are.
However, people don't assume even second generation, say German or Irish, as foreigners and don't expect them to speak German or Gealic wheras most of my friends who are Chinese American or Japanese/Korean are harrassed for that sort of matter from very minor one to quite a major issue such as this; 'when a war breaks out, Asians are supposed to go back to 'their country' because they will become enemies of The USA.' This is what I get a lot after 9/11 probably because they(main stream white americans) cannot help perceive just how foreign Asians appear to be. I know that it is such a freighteninng matter and we're even in this 21st century.
What I am very unhappy about is more about Asian race's silence than American white's ignorance because US is a kind of place where the ignorance is celebrated and reinforced; there are many overt racism involved in this social norm Asian people hardly confront. Here is the message they are sending in many different ways; Americans are white, whites are Americans. There are many overt racism involved in this issue.
Hi Chima,
Thank you for writing in your thoughts about how the U.S. compares to Japan.
I am aware of the racism that exists in the U.S. although I have not felt the full effects of it on a personal level. I believe this is partially because I have not spent a significant amount of time in non-urban areas in the U.S. as an adult and also because I tend to mix with a more idealistic crowd.
However, inferring from my experience of living in urban areas of the U.S., the East Asian-American situation in the U.S. seems quite different from the situation of, what I have called, the ‘minorities’ in Japan. Although my post above seems too generalized to be compared to any specific minority group in the U.S., if I were to emphasize one point, I would say that what distinguishes ethnic minority issues in Japan and the U.S. is whether the distinction is drawn primarily based on appearance or not.
Kyukkoさん、こんにちは。
かなり前に書き込みされたことの返事になってしまってすみませんが、以下に私の考えたkyukkoさんの質問に対する答えを書かせていただきました。
一番目の質問は、「マイノリティの存在がマジョリティ側に意識されない状態は社会全体にとっても健康であるとはいえない。」で始まる段落についてですよね?
これについては、その段落全体で続くことを読んでいただいてもわかると思うのですが、要は
人が社会の中で、アイデンテティのためであれ、生い立ちのためであれ、何かしら「特異な」立場にあった場合、その人はその「特異性」なりに何か自分の住むコミュニティー(ひいては社会全体)において違う経験なり、観点なりを持つことができる場合が多い。でもその「特異性」を主張することは、自分の「違い」を主張することになります。
これを阻害するのは一見、「やっぱりヨソモノなんだね」という立場だけに見えるのですが、実は「どうせみんな同じ日本人」的な見解も「違い」を主張するのを阻むように作用する場合があるのです。
それは、「結局みんな一緒だから」という見解は、今の時点では個々の個性を認めたうえで、「結局はみんな一緒」と言う前提を含むよりは、自分の「違い」を主張しない代わりに、「普通の」日本人でいられる特権を与えましょう、または「寝た子は起すな」(‘Don’t ask don’t tell’的?)的な前提を持った現われである場合が多いからです。これは「特異である」自分の一部を、社会に溶け込む代償として抹消することにつながります。
「どうせみんな一緒なんだから」と言ってる側はそういうつもりはなくても、長年そういう意味で使われてきてフレーズを聞かされると、その裏にある意図が変わってもそう言われてしまう相手(個人であれコミュニティーであれ)には分からないもの。マイノリティであることは必然的に立場が弱いもの、という定義を含みます。マイノリティでも安心して住める社会を形成するには社会的強者がどの時に自分が強者になりうるかを知り、マイノリティである部分をもつ人はどの立場の時に自分がマイノリティになりうるかをしっかり意識する必要がある。そうでないとお互い適当な時に助け合えないではないか、ということです。
2番目と3番目の質問はどこの部分に関して言及されたものなのかちょっとはっきりしなかったので答えるのは控えさせていただきました。ただひとつだけ明らかにしておきたいのは、私がここで「マイノリティ」と括っている人々は日本国籍保持者も非保持者も含んでいる、ということです。
日本で「マイノリティ」でありうるか否かは、国籍とも関係はありますが、それは各マイノリティ(個人であれ、コミュニティーであれ)問題の一部にしか過ぎず、ここではそれには触れていません。
最後の、アメリカで私自身は受け入れられたように感じたかどうかという質問に関してですが、アメリカは日本よりもずっと広いことや、人口構成が多様なこともあって、ある意味、日本よりも地域差や個人差がずっと激しい印象を受けます。私個人の体験でも、問題なく受け入れられたように感じた場合もあれば、与えられた質問に正しく答えられれば、と言う条件を出されたように感じた場合も、アメリカ人として全く受け入れられなかった、と感じた場合もありました。もし時間がありましたら、詳しくは私の一番最近のポスト、”Who I am: My Changing Self-identification” をご覧ください。
Thank you for your comment, Miyabi. I will comment you in English again, because , on this sheet, I can't handle computer language facilities to show up Japanese language as you do. So please allow my poor English again.
Regarding the word of minority which you point, how do you categorize it ?
For me, you look too much careful to difference of feature. My view to minority does not mean difference of feature. The idea of mine is whether they trustfully ( or without any doubt ) accept local rules in places where they live , or not. In other word, it depends to accept , respect and follow local rules in communities or not.
So minority in my mind applies all people who feel themselves isolated in communication with people nearby.
Difference of feature is not absolute one but a part of minority.
The case of you strongly feel yourself a Japanese, and citizen around you welcome you, I think you would satisfy circumstance. But in the case you feel a Japanese, and others around you would not admit it, you must feel isolated.
It does not result in difference of feature but in acceptance of local culture, philosophy , ideas and attitude etc.etc.
I have studied French by a French woman marrying a Japanese. Discussing different ' self - identity ' both in France and Japan, we find big difference of the way of taking responsibility to society . For long term , for many citizens categorized non-SAMURAI class-- non-elite class -- in society , they are habitually kept apart from playing a role of taking responsibility or solving with much discussion. Adults in non-elite class in society just rumor where the problems go. I think it "MITE-MINU -FURI" attitude --the behavor which they have no will to think about -- in society. This arise fake harmony in society as if there were no any problems around. No one would stand to solve them as much as they can do.
Even if different looking you behave as you can't see any troubls around , you would feel one fo majority.
So " minority" problem you point , I think it the problem of conciousness.
Even if same feature looking others, once they conceive some problems around, just after the consciousness, they might feel a little isolated apart from others. I think THIS IS THE CORE OF MINORITY PROBLEMS.
As like as two peas. <a href="http://www.disney.com/">(c)</a>